パリサンジェルマンの人気選手であたイブラ、ベッカム、 背番号の取り合いゲーム

112012年7月18日、ズラタン・イブラヒモビッチはエッフェル塔の下で、背番号なしで名前しか入っていない(その方が効果的だったが)ユニフォームを手に、写真のポーズを取った。彼はその日、背番号について聞かれると、「何も決まっていな い」と不機嫌そうに答えた。「だが、スタッフは何番なら俺が喜ぶか知っているはずだ」とも口にした。そして彼はクラブで10番を背負うことになる。

最初のクラブ、スウェーデンのマルメを皮切りに、どこへ行こうと、10番は埋まっ ていた。アヤックスではファンデルファール卜が、ユヴェントスではデル・ピエロ が、インテル・ミランではアドリアーノが、バルセロナではメッシが、ACミランで はセードルフが10番をすでにつけていたのだ。運悪ぐPSGでも、10番は2年間 ネネのものだった。

そして、マルメやアヤックス、ユヴェントス、バルセロナでつけていた9番は、オアロがつけていたのである。「イブラがフランス語で頼んでく れたら譲るよ」と、このひょろっとしたフランス人ストライカーは約束した。イブ ラヒモビッチが数か国語に堪能なのは疑いなかったが、彼は頼もうとしなかった。 頼むかわりに18番にしたのである。とはいえ、当初からの強い願いを忘れたわけ ではなかった。

彼はリーグ・アンで18番のユニフォームを着て18ゴールをあげた が、ネネが移籍するや、18番を捨てて10番をつけたのだ。ただし、国内での試合 だけだった。ヨーロッパのレベルでは、UEFAがシーズン途中の背番号変更を禁 じていたためである。

こうして、彼は2012/13シーズンを、リーグ・アンでは10番、チャンピオンズ・リーグでは18番をつけて終えた。そして、2013年1月31日、ベッカムがPSGと契 約した時、またも同じ問題が起こる。このスーパースターは、ベス卜やカントナの 背番号7のユニフォームを着て目覚ましい活躍をすることで、マンチェスターで の伝説を築きあげてきた。

そしてACミランでの最初のローン期間も、この7番を手に入れていた。しかし、パリでは、メネズが7番を譲るのを断った。レアル・マ ドリードやロサンゼルス・ギヤラクシーで彼が気に入っていた23番は、フアンデ ルヴィールのものだった。そこで、ベッカムは、ミランでの2シーズン目に使つた のと同じ手を使うことにした。2と3を入れかえた32番を選ぶことで、これ以上 不要な背番号の取り合いを避けたのである。

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